様式便器が出回りはじめた頃、あの使用法にとまどった人は多いようです。 今ではそんなこともないでしょうが、初めて様式便器に接した日本人は、どうだったのでしょうか?
文久三年( 1886 年) 12 月池田筑後守長発(ながのり)は、遣欧使節としてヨーロッパに渡りました。
その随行員の一人、青木梅造という人の日記の一部に次のような記述が見られます。 「(水栓トイレの仕組みに感心した後)小便をし終わり、手を洗おうとしてすぐ脇を見ると、 フタ付きの瀬戸物製の美しい水鉢が棚においてあった。他に手を洗う所もないので、そのフタを開けて見てみた。 中には少し黄色く濁った水が入っている。しかし、前々からこの辺の川は皆、泥水だと聞いていたので、 こんなものだろうと思い手を洗った。するとなんだか変な匂いがする。 そこで通訳の人にこの事を詳しく話してワケを聞いたところ通訳が吹き出し、大笑いした。 『その器は、異人の小便器溜めです。』−(略)」 また、文久元年にパリへ渡った竹内下野守保徳、松平康直、京極高明の一行も騒動を巻き起こしています。 パリのホテルの事です。三使節の内の一人が様式トイレで日本式にまたがり、 つまり逆向きにまたがり、用を足していたのです。ドアは開けたままです。
随行員として一緒だった彼の家来達は正装してその前に正座して番をしています。 これが室内だったら問題はなかったのですが、折わるくそこは廊下でしたので、人の往来がさかん。 たちまちに黒山の人だかりができてしまいました。そこにたまたま、福沢諭吉が通りかかり、 ドアを閉めさせたのです。それでどうにか騒ぎがおさまり、事なきを得たのです。 歴史の表には、決して表れない、おかしな 1 ページです。 
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