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古代中国、三国時代。後に蜀帝国の皇帝につく事になる劉備玄徳が、
まだ定まった領地も持てなかった頃の事です。
荊州の地で世に出る日を待っていたのですが、
領主の劉表に玄徳は厚く信頼され世継ぎ問題まで相談されるほどでした。
劉表の部下に祭瑁という、家老格の人がいました。祭瑁の妹が劉表の妻になっていた事もあり、
彼は荊州の実権を握る事を夢見ていました。それには玄徳がジャマです。
ある時、一年の豊作を祝う会を催して、その場で玄徳を暗殺しようとくわだてました。
城の東、南、北の各門に兵を伏せて、命令一下、斬り殺そうとしています。ただ西門だけは、すぐに川 につきあたり、
その急流は舟でない限り渡れないので、兵を置いていませんでした。
宴もたけなわとなり、玄徳の命も風前の灯火か、と思われました。
その時しきりに目くばせする人がいます。
玄徳はその合図に気づき、
「ちょっとトイレへ」と席をはずしました。
外に出て待っていますと、合図を送ってくれた人も続いて出てきました。
そして、危険が目前に迫っている事、兵の配置状況を耳打ちしてくれました。
あわてた玄徳は取るものも取りあえず、馬屋に駆け込み番兵の、
制止も振り切って、自分の愛馬を引き出し、
西門を突破したのです。
祭瑁はまさか「トイレに行く」といって、そのまま逃げられるとは思いもよらず、
すっかり油断していたのです。
そこに玄徳が逃走した、との報がもたらされました。
あわてて彼は追手をさしむけます。
西門はすぐに急流で、それ以上は進めないはずでした。
ところが玄徳は予想に反して、渡れないと思っていた急流を渡ってしまったのです。
玄徳はこの「トイレへ」の一言で九死に一生を得たばかりか、後に大軍師、名宰相諸葛亮孔明を知るきっかけも得たのです。
これがなければ、蜀帝国はできず。三国時代もなかったかもしれないのです。まさにトイレは「命の母」だったわけです。
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