 |
パリは南西約48キロの地にある壮大な宮殿ベルサイユ。 ここは、元来はルイ13世が狩猟用に1624年に建てた、小さな城でした。 それを「太陽王」と呼ばれるルイ14世が王宮を移すために、増改築させたものなのです。 完成して宮廷と政府が移るまでに20年以上かかり、その後も王宮は改造をかさねられて、途中フランス革命が あったためもありますが、本当に王宮が完成したのはルイ・フィップ王の時代」、ルイ13世が小さな城を建て てから200年以上たってからの事です。 このベルサイユ宮殿は、それ以後の宮殿の手本とまでになったものなのですが、ここには長い間トイレ1つも ない、と信じられていました。当のお国のフランス人でさえも見学コースからはずれているせいもありましょ うが、そう信じていたほどです。 ところが実は、ベルサイユにも、ルイ14世統治の末期から水洗トイレがあったのです。それでもあれだけ広 い宮殿にしては絶対数は少なく、1715年に即位したルイ15世が1738年に模様替えの時にやっと20ヶ所にふ やしたにすぎません。そのためにオマルが多く使われ、その数は274個もあった、と記録されています。
さて、ベルサイユの水洗トイレの構造ですが、天井裏に水槽があり、そこから鉛管を通して水が流れ、ウンコ やオシッコを地下の屎尿槽へと流し、槽にたまったウンコは水分を少し蒸発させてから畑に運び肥料にしていた のです。このトイレの事を御用建築家は「イギリス式イスの部屋」と呼んでいました。 1774年に王位をついだルイ16世は、トイレをさらに改良して、水の流れる鉛管を2またに分け、一方は元のま まウンコを流すために、残りの一方はお尻を洗うビデにしたのでした。 その頃にはトイレは「イギリス式の場所」と呼ばれるようになり、このビデは「清潔の泉」と呼ばれました。 それまでは、トイレに紙などおいてありませんでした。貴族たちは、羊毛を使ってお尻をふいていたのです。
このようにトイレはベルサイユ宮殿にはあったのですが、これがないと一般に信じられるようになったのは、 フランス革命で宮殿に侵入した民衆が破壊してしまったり、19世紀半ばには、宮殿が歴史博物館に改装され、 そのために入りくんだ通路がジャマになったためにとりこわされたりしたためなのです。 まさに誤伝おそるべし、ですね。 |
|
 |